今回の「福岡県民の沖縄無いものねだり(鉄道)」は福岡県民というよりも私の無いものねだりなのだが。
私は乗り物が大好きでその中でも特に好きなのが鉄道。
何鉄か?と言われれば車中で飲んだり、食べたりするのが大好きなので「飲み食べ鉄」だろうか。後は写真を撮るのも好き。
車両に関しては全く詳しくない。キハとかN300系がどうのこうの言われても全くわからない。
とにかく車窓を流れる景色を眺めながら飲んだり食べたりするのが好きなのだ。
飲んだり食ったりしているうちに目的地に連れて行ってくれるって最高ではないか。
そういう意味で沖縄には鉄道がないので飲食しながら旅行ができないのが残念だ。
ゆいレールがあるじゃないかと言われるかもしれないがモノレールを鉄道に入れるのか入れないのかはマニアの間でも意見の分かれるところである。
私はモノレールは専用軌道を走るバスだと思っている。
車内で飲み食い出来なって言うのがね。
以前ゆいレールの職員の方にゆいレール内で飲食できるのか聞いたことがあるのだが、物凄い低い声で「飲食はご遠慮いただいております」と言われてしまった。
「そんな低い声、出さんかて。」
まあそりゃそうだよね
やはりゆいレールは市民の通勤、通学のための足であると考えたほうがよさそうだ。
そんな沖縄にも戦前は鉄道があったらしい。
沖縄県営鉄道(おきなわけんえいてつどう)がそれで、戦前に沖縄県が運営していた鉄道である。
当時の鉄道省の書類には沖縄県営鉄道と記載されていたが、沖縄県側では1917年まで沖縄県軽便鉄道、それ以降は沖縄県鉄道を正式な名称としていた。
また、狭軌を採用した軽便鉄道(けいべんてつどう)であったことから、沖縄県民からは「ケイビン」「ケービン」と通称されていた
1917年12月に嘉手納線の着工が決定し、1922年3月に開業した。最後に残った糸満線は1923年7月に開業し、これにより現在の那覇市から嘉手納町、与那原町、糸満市の3方面に延びる路線網が完成した。
その後沖縄戦による戦火で破壊された鉄道は復旧することなく歴史の中に消えていった。
そんな沖縄県営鉄道の遺構はないものかと調べてみると、ゆいレール旭橋駅の前には、旧那覇駅の転車台遺構が残っているらしい。
また、与那原には被災したものの復元された与那原駅舎があり、現在は鉄道資料館になっている。
旧沖縄県営鉄道那覇駅跡
仲島の大石のすぐ側にあります。
旭橋駅の歩道橋の上から見た転車台の遺構。
私は旭橋駅近くの泉崎にいつも宿をとるのですが近くにこんな施設があるなんて全く知らなかった。
今でも鉄道が残ってたらなー。
これは与那原の鉄道資料館にも行かねばなるまい。
こちらの「与那原町立 軽便与那原駅舎展示資料館」は、「沖縄県鉄道与那原駅跡」として国の登録記念物(遺跡関係)に認められている貴重な場所。
戦前まで那覇―与那原、那覇―嘉手納、那覇―糸満の3路線で運行していた「軽便鉄道(けいべんてつどう)」の面影に触れることができる。
沖縄県南部に位置する与那原町(よなばるちょう)は、当時、沖縄の物流の拠点として栄えていた街。
当初木造で建てられた「軽便与那原駅」は、1914年に沖縄で最初に開通した「与那原線(那覇―与那原)」の終着駅で、1931年に鉄筋コンクリート造りの駅舎になりました。
その後、こちらの建物は補修を重ね、消防署の車庫や町役場、農協と様々な施設として活用されていたそう。
そうした長い時を経て、軽便鉄道の開通100周年にあたる2014年、ついに駅舎を再現した建物が完成。2015年1月に資料館としてオープンすることとなった。
館内では、このような「軽便鉄道」や「与那原駅」の歴史を、写真パネルや展示物などで垣間見ることができますよ。
入口になんかおるんやが。
入館券は切符を模したもの。
硬券というのが懐かしい。
今の若い人解らないだろうね。
昔はこの硬券の切符に駅員さんがハサミでチョキチョキして切り込みを入れてくれたのですよ。
こちらは路線図。
こうしてみると結構な遠距離を走っていたようだ。
戦前の与那原駅周辺のジオラマ。当時の街の様子が偲ばれてグッときます。
その他館内には戦前の沖縄の鉄道の様子がわかる資料が多数展示されている。
ひと通り見学した後は、駅舎前に座る馬車スンチャー(馬車引き)の “サブローおじぃ”との記念撮影をどうぞ。
しかしもうちょっと可愛いマスコットにしたらよかったのに。
リアルすぎてなんか怖いんやけど。
沖縄におる妖怪にしか見えん。














